2011年10月27日
高橋寛治が語るまちづくり(2)
みなさま こんにちは。しょうちゃんです。
昨夜の1000人会茶話会に参加の皆様、お疲れ様でした。「次世代型
路面電車(LRT)構想を中心とした和歌山の街づくり」をテーマに
中西重裕氏の講演の後、いろいろな意見が出ましたが、「実現に向け
て協力していこう!」に落ち着いたように思います。中西様ありがと
うございました。
さて、髙橋寛治が語るまちづくり(2) をおおくりします。
「未来は過去の中にいる」
景観を考える時、一つの「固まり」としてどこまでを考えるかによって、
基本的な約束事やあるべき姿が違ってくる。つまり、一つの「まち」なり
「むら」を中心として、周辺を固まりとしてみることから景観は考えられ
るものといえる。
ヨーロッパでは、市町村が景観の単位となっていることが多いが、現在の
日本では、例えば寺内町のように過去の歴史を持っている「狭い町屋の地域」
が一つの固まりであることが多い。
一方、同じ文化を持っている地域は、町の範囲を超えて文化的な共通性が
存在する。特に高野町のように山の上にあり、近世まで独立した文化と寺領を
持っていたところは、この区域(高野山)を中心とした共通した文化圏があり、
景観の範囲も市町村の枠を超えた姿が求められる。現在、高野町で水系ごとの
建物を調査しているのも、基本はその統一性(コード)を求めるものといえる。
また「固まり」の範囲には、
(1)文化的特徴を共有
(2)地形的特徴を共有
(3)時には行政的な単位にもなりうる
(4)しかし、そこで住民が自らの意見で参加する、「自治」があることが基本と
思っている。
この自治が実現できないと、一つ一つの建物は立派でも町全体に統一感がうま
れないし、遠くから見たときに全体としての調和がとれていない町が生まれる。
日本の町の景観は、まさにそれぞれの建物が個性を追求し立派になったが、
統一感や調和を破壊する方向に向かって進んできたのではないだろうか。
私は一つの地域を知ろうとする時、常に全体が俯瞰できる高台を求める。もち
ろん半島の先端などで見渡しのきかないところもあるが、「まち」を俯瞰すること
が地域理解の基本と感じている。
高野山は俯瞰が出来にくい町であるが、よく女人道の高台へ出向く。江戸時代には
女人禁制がひかれていたため、信者は女人堂から八葉の嶺と呼ばれる尾根道を回った
と聞いている。途中の「ろくろ峠」は根本大塔を望む高台であり、当時の信者が背伸
びをしながら山内を眺めたビューポイントである。このようなポイントから全体を見
通すことが景観の始まりと感じている。(次号に続く)
昨夜の1000人会茶話会に参加の皆様、お疲れ様でした。「次世代型
路面電車(LRT)構想を中心とした和歌山の街づくり」をテーマに
中西重裕氏の講演の後、いろいろな意見が出ましたが、「実現に向け
て協力していこう!」に落ち着いたように思います。中西様ありがと
うございました。
さて、髙橋寛治が語るまちづくり(2) をおおくりします。
「未来は過去の中にいる」
景観を考える時、一つの「固まり」としてどこまでを考えるかによって、
基本的な約束事やあるべき姿が違ってくる。つまり、一つの「まち」なり
「むら」を中心として、周辺を固まりとしてみることから景観は考えられ
るものといえる。
ヨーロッパでは、市町村が景観の単位となっていることが多いが、現在の
日本では、例えば寺内町のように過去の歴史を持っている「狭い町屋の地域」
が一つの固まりであることが多い。
一方、同じ文化を持っている地域は、町の範囲を超えて文化的な共通性が
存在する。特に高野町のように山の上にあり、近世まで独立した文化と寺領を
持っていたところは、この区域(高野山)を中心とした共通した文化圏があり、
景観の範囲も市町村の枠を超えた姿が求められる。現在、高野町で水系ごとの
建物を調査しているのも、基本はその統一性(コード)を求めるものといえる。
また「固まり」の範囲には、
(1)文化的特徴を共有
(2)地形的特徴を共有
(3)時には行政的な単位にもなりうる
(4)しかし、そこで住民が自らの意見で参加する、「自治」があることが基本と
思っている。
この自治が実現できないと、一つ一つの建物は立派でも町全体に統一感がうま
れないし、遠くから見たときに全体としての調和がとれていない町が生まれる。
日本の町の景観は、まさにそれぞれの建物が個性を追求し立派になったが、
統一感や調和を破壊する方向に向かって進んできたのではないだろうか。
私は一つの地域を知ろうとする時、常に全体が俯瞰できる高台を求める。もち
ろん半島の先端などで見渡しのきかないところもあるが、「まち」を俯瞰すること
が地域理解の基本と感じている。
高野山は俯瞰が出来にくい町であるが、よく女人道の高台へ出向く。江戸時代には
女人禁制がひかれていたため、信者は女人堂から八葉の嶺と呼ばれる尾根道を回った
と聞いている。途中の「ろくろ峠」は根本大塔を望む高台であり、当時の信者が背伸
びをしながら山内を眺めたビューポイントである。このようなポイントから全体を見
通すことが景観の始まりと感じている。(次号に続く)
Posted by しょうちゃん at 14:56│Comments(0)
│報告・発見・お知らせ